毒親育ちの妊娠→出産
毒親育ちのつらいたんの妊娠と出産の過去を少し書いてみようと思います。
つらいたんの妊娠するまで
つらいたんは、結婚6年目くらいに出産しました。
その間、結婚はしたものの…なんていうか子供が苦手なのもあったし、
何より、自分が毒親育ちだったのもあって、
「子供を育てる」ということに希望を持てなかった。
でも、なんだろうなあ…30歳超えたくらいからやっぱり、このままだと後悔するような気がして。妊娠してみたい…かも…と思うようになった。
しかし、その後つらいたんは妊娠したものの、2度流産を迎えた。
そして、精密検査の結果、どうやらつらいたんは
「血液疾患による不育症という病気」
だということが判明した。
妊娠はするものの、お腹の中で子供が育たず、流産をしてしまう病気だ。
その後、専門医の元で、不育症治療が始まった。
何で私がこんな目に合うんだろう。と夫婦で悲しくなることがたびたびあった。
最初はそこまで子供を持ちたいと思っていなかったのだけれど、そんな私も妊娠した時に愛しいという感覚が湧いた。
そのころから、
どうしても子供が欲しいと思うようになった。
3度目の妊娠で初めて出産ができた。
その後、専門医の元で治療しながら、妊娠をし、管理しながら、出産を迎えることができた。
妊娠中は何度も出血をしたり、毎日成長しているか不安だった。
また過去のようになったら…と思うと毎日気が狂いそうだった。
3度目の妊娠中も大出血したこともある。もう、ダメだと思った…
だけれど、3度目はお腹の子の心拍が初めて見れた。
パクパク、小さく力強く動いていた命の鼓動の軌跡を私は今も忘れることができない。
その後、安定期にも出血したりしたが、どうにかこうにか、無事出産を迎えることができた。
だからこそ、娘に伝えたい事がある
こんな私だらこそ、娘が言葉が分かるようになったら伝えたい事がある。
私は不育症だったので、
夫婦二人で本当に出産を迎えるまでに何度も苦しみ、涙した。
時には他人に嫉妬したり、虚しい感覚を味わい、もう私たちは子供を持つことができないかもしれないと何度も思った。
娘は、本当に無事生まれて存在してくれてるだけでも、
私はどれだけ救われたか。分からない。
娘が存在してくれるだけでどれだけ私たち夫婦は幸福か分からない。
まだ娘は赤ちゃんなので、こんな話をしても分からないけれど、言葉が分かるようになったら、この話をしたいと思っています。
あなたがそこにいてくれるだけで、わたしたちは幸福です。
ども! つらいたんはいわゆる毒親育ちです。
現在は結婚して出産し、一児の母です。
このブログでは毒親育ちの過去のことや私の性格、フラッシュバックのこと、
毒親育ちの分析、更に毒親育ちの人の自分の子の子育ての分析など
そういったしんどいことを吐き出して気持ちを軽くするために、ブログを書いていこうと思っています。