全て毒親のせいにしてる人が許せないという人
「なんでもかんでも、全て毒親のせいにしてる人が許せない。良い歳こいて、全部親のせいにしてるなんて情けない。全部甘え!私も毒親に育ったけど、脱した!私すごい偉い!他は全部バカ!」
…という人を見ました。
彼女も、毒親育ちで、「毒親から未だ脱せない人が許せない」という自称脱毒親育ち。
でもこれって、本当に脱毒親できていると思いますか?
本当に脱毒親している人なら、人を許せるのではないでしょうか。
駄目な人を許せないという感情。
そしてそういった強い攻撃性。
それこそが、この人が毒親からされてきた仕打ちそのもの
なのではないか…と思うと震えました((((;゚Д゚))))
未だ脱せない毒親育ちを叩いてマウンティングして悦に入っている、
それかこそがすでに、毒親育ちの弊害からの脱出が難しいことを自分自身で証明している…
という事実に、ボカァ衝撃を受けましたね…。
親子の相性について
私の母曰く、弟は子供の頃から両親に好かれようとしてたけど、私(つらいたん)は違っていたそうで。
「もう幼稚園児くらいにはつらいたんは両親との相性が悪かったのだ」と母がよく言うのです。
そんな小さい頃から相性とかもうあるものなんだねえ…と驚きまして。
うちの娘もその頃には、私や夫との「相性」が出るのかな。
でも実際、親子でも相性はあるのだと思う。
特に比較対象(兄弟姉妹)が出てくると、顕著になるのだと思ってる。
我が家は、娘一人だから正直相性が合う合わないとか今のところ分からないのだ。
たぶん何人か育てると、この子とは合うけどこのことは合わないなあとかはっきりしてくるのだと思う。
そういう自分のトラウマもあって(家庭内で差別される)、
やっぱりうちは一人っ子かなあ…と思ってるんだよね。
私は逆に、子供と相性が合わないと思う親側の意見が聞きたい。
私の母親と同じように子供と相性が合わない。
例えば妹はかわいいけどお姉ちゃんとは相性が合わない。
というお母さん方はどのくらいいるのだろう?
そう気づいた時期(何歳ごろか)。
可愛いと思えない理由を聞きたい。
友人が多い子は良い子
お久しぶりです。つらいたんです。
ずっとブログ更新できていなかった…最近割合平和だったので(というよりも、毒親の地雷を踏まないようにこっちが気を付けていた。)
だったんですが、どうやらまた地雷を踏んだようです。
つらいたんは毒親に昔から、
「友人が少ない」ということをネチネチ言われ続けていた。
つらいたんが○○だから友達少ないんだ!!と…。
友人がいると自分自身が生きやすい、というのはあると思う。
心から信頼できる友人がいるというのは人生を豊かにできる。
だけれど、
だけれどね。
つらいたんは思うのです。
「友人が少ない、いない子は悪い子」
「友人が多い子は良い子」
という価値観は、つらいたんは娘には持ってほしくないのです。
だって、
もし娘が友達少なかった(いなかった)ら。
「私は友人が多い子より、悪い子なんだ。劣っているんだ。」
なんて思ってほしくないのです。
逆にもし娘が友達が多い子でも。
「クラスのあの子は友人が少ない。あの子は悪い子。私より劣ってる」
という価値観をつけたくないのです。
ありのままで、そのままで、
あなたはあなたで、本当は素晴らしい。どちらであったとしても。
娘にはそう伝えたい。
だから、言葉を気を付けようと思ってる…
っていう話を実母にしたらめっちゃ激怒されました。
地雷だったのでしょうね。
もう本当恐いわ…。
毒実家による娘の煙草の誤飲
もちろん我が家には喫煙者はいませんが…
毒親実家には喫煙者が2人もいます。
しかも一人は二度死ぬか生きるかの重病を患っており、
その後医者に煙草厳禁を宣言されているのにも関わらずのヘビースモーカー!
以前も娘が実家の灰皿を軽く舐めたことがあって…(しかも一見財布にしか見えない携帯灰皿。分かるかアアアア!!)
実家に訪れた際は、いつもチェックしているのです。
ですが、どこかに煙草がまるまる1箱開封した状態で、落ちてたみたいで…、
口の中に入って煙草が真っ二つに割れてる…さっと取り出して、吐かせて、なんとか取り出しました。
そんなに飲んでないっぽく、
その後4時間ほど様子を見て、水分を飲ませず。
とりあえず体調不良はないので、事なきを得ましたが…。
一本食べただけでも、乳児には致死量。
こわいよ…
それだけでなく実家には危ないものがわんさか。
できれば煙草を手の届かないところに置いてほしいと軽く言うだけで、ブチ切れられ、
その後私の全人格否定を繰り広げられるので、
たばこの誤飲の疲れと重なりいろいろ疲れてしまいました。
いやまあ…本人の家だから仕方ないんだけどさ。
ちょっとお願いしただけで、そこまで全ての人格攻撃をしなくてもいいのに…。
結論
危険すぎるので実家には娘は連れて行かない。と心に誓いました。
そんなところに連れていった私が悪かった…。
私だけならともかく、娘を実家の毒に巻き込むわけにはいかない。
本当、いろんな方のブログ見てると乳児期の大変な時に、実家に帰って休めるまともな実家がある人がうらやましい。
むしろ私は実家に行った方が危険が多すぎて、気が休まらない。。。
出産後の里帰りもけっこうひどかった…これはまた追々。
毒親でも外部のコミュニケーション能力は高い
毒親って社交的? 内向的?
毒親って、要はコミュニケーション能力の部分もあるのかなと思っていたんだけれど、
でもね、私の母親は、実はとても友達が多く人付き合いが上手いのです。
仕事もコミュニケーション能力を活かした仕事で成功している。
毒親でも外部に向けてのコミュニケーション能力は高い
だけど、私には毒親…なのですよね。
人付き合いが上手いから子供にとって毒親ではない
というわけではないんだなあと思ったこと。
ただ、私がやることなすこといつも文句ばかりであと自分以外の人間の悪口は多かったなあと今振り返ってみて思う。
(でも社交的で魅力的なんです)
教訓
他人の悪口は、やっぱり私はしないように気を付けようとおもった…。
むっとするようなこと言われたり、不利益を被るとついつい言っちゃうこともあるんだけどね…でも本当それは自分よくないなと思う。
特にそういう姿を自分が子供に見せたくないなと、子供産んでから思うようになった。
本当に自制心を強く持たなきゃな。
研究研究
毒親育ちが中学校でいじめを受けたときの話
中学校でいじめを受けた過去
つらいたん、コミュニケーション能力が低くて…(今も)
内向的で、容姿もあまり管理が行き届いてなかったので、目をつけられたんでしょうねえ…
中学校でいじめを受けた過去があります。
今思うと、けっこうひどいいじめだった。机をガンガン足で蹴られて脅迫されたりもした。
しかも乱暴な男子たち。こわかったし、毎日容姿のことなど、傷つくことを言われました。
あの頃は、辛くて辛くて。
毎日学校に行きたくなくて。
自殺しようかと頭をふとよぎったこともある。
母親に相談しようと決心
でも、死ぬくらいなら…と。
母親に勇気を出していじめを受けていることを話したことがある。
これね…本当になかなか言えません。
いじめを受けてるなんて、自分がみじめで、恥ずかしくて…。
でも車の中で、弟もいる中で、話を少しした。
そうしたら、
いじめを受けてることを母親に笑われた。
本当にこれはね…衝撃を受けました。今でもあの日が忘れられない。
挙句の果てには、
母「その男子あんたのこと好きなんじゃないの~?」(ニヤニヤ)
弟「あ~部活の先輩(いじめっこ)がお前のこと気持ち悪いって言ってたの聞いたことある。お前気持ち悪いもんな!!」
母「そうなの~?そんなの立ち向かえ!!」(終始ニヤニヤ)
…絶望したよ本当に。
悔しくてさ…でもなんかもう涙が見せられなくて。
言わなきゃよかったと思った。
真正面から受け止めてほしかった。
立ち向かうなんて、そんなに簡単なことじゃないよ。
中学時代そこそこ成績も悪くなかったのですが、(といっても上位2割位ですが…)
この後、精神的に不安定になってしまって、成績がガタ落ちになってしまいました。
安心して授業を聞ける状態でもないし…
それも責められる。何でこんなに悪いの…!
勉強しないの!!
バカだね本当に!!って。
母親は、優等生だったようで(目立ちたがり屋で、成績は学年で1番で、スポーツも万能、先生にも生徒にも人望があるタイプだったようでよく祖母が母親の子供の頃の話をしていました。)
余計に何で娘はこうなんだと思ったのかもしれません。
でもあの時、母親が味方になってくれていたらなあ…と今でも思います。
その後は一切いじめのことを話すことなく、卒業までぐっと堪えました。
その後、高校に進学したら、そういう雰囲気のある高校ではなく、
高校生になると年齢も上がって精神的にも大人になってきていますし、
いじめられることはなくなりました。
大学進学→就職→結婚→出産と今に至ります。
毒親育ちの自分の教訓:もし自分の子供がいじめに合ったら
いじめは、大人の社会でもあるのは確かで、なくなるのは、難しいことなのでしょう…
だけど、中学生の子供にとっては…その世界はすべてです。
その世界は絶対なんですよね。
立ち向かえなんて…そんな簡単に言えることでもないんです。
ましてや、親にそれを話をすることがどれだけ勇気がいることか。
話してくれたことにまずありがとう。そして、
絶対に娘の味方になりたい。
一緒に良い方法を考えようって言ってあげたい。
今度は娘を救うことができるのなら。
あの時傷ついた私も、無駄ではなかったかもしれません。
しかし、もし、もし娘がいじめをする側になったら…?
私はどうしたらいいんだろうなあ…。
それはまだ分からない…。
毒親育ちの妊娠→出産
毒親育ちのつらいたんの妊娠と出産の過去を少し書いてみようと思います。
つらいたんの妊娠するまで
つらいたんは、結婚6年目くらいに出産しました。
その間、結婚はしたものの…なんていうか子供が苦手なのもあったし、
何より、自分が毒親育ちだったのもあって、
「子供を育てる」ということに希望を持てなかった。
でも、なんだろうなあ…30歳超えたくらいからやっぱり、このままだと後悔するような気がして。妊娠してみたい…かも…と思うようになった。
しかし、その後つらいたんは妊娠したものの、2度流産を迎えた。
そして、精密検査の結果、どうやらつらいたんは
「血液疾患による不育症という病気」
だということが判明した。
妊娠はするものの、お腹の中で子供が育たず、流産をしてしまう病気だ。
その後、専門医の元で、不育症治療が始まった。
何で私がこんな目に合うんだろう。と夫婦で悲しくなることがたびたびあった。
最初はそこまで子供を持ちたいと思っていなかったのだけれど、そんな私も妊娠した時に愛しいという感覚が湧いた。
そのころから、
どうしても子供が欲しいと思うようになった。
3度目の妊娠で初めて出産ができた。
その後、専門医の元で治療しながら、妊娠をし、管理しながら、出産を迎えることができた。
妊娠中は何度も出血をしたり、毎日成長しているか不安だった。
また過去のようになったら…と思うと毎日気が狂いそうだった。
3度目の妊娠中も大出血したこともある。もう、ダメだと思った…
だけれど、3度目はお腹の子の心拍が初めて見れた。
パクパク、小さく力強く動いていた命の鼓動の軌跡を私は今も忘れることができない。
その後、安定期にも出血したりしたが、どうにかこうにか、無事出産を迎えることができた。
だからこそ、娘に伝えたい事がある
こんな私だらこそ、娘が言葉が分かるようになったら伝えたい事がある。
私は不育症だったので、
夫婦二人で本当に出産を迎えるまでに何度も苦しみ、涙した。
時には他人に嫉妬したり、虚しい感覚を味わい、もう私たちは子供を持つことができないかもしれないと何度も思った。
娘は、本当に無事生まれて存在してくれてるだけでも、
私はどれだけ救われたか。分からない。
娘が存在してくれるだけでどれだけ私たち夫婦は幸福か分からない。
まだ娘は赤ちゃんなので、こんな話をしても分からないけれど、言葉が分かるようになったら、この話をしたいと思っています。
あなたがそこにいてくれるだけで、わたしたちは幸福です。
ども! つらいたんはいわゆる毒親育ちです。
現在は結婚して出産し、一児の母です。
このブログでは毒親育ちの過去のことや私の性格、フラッシュバックのこと、
毒親育ちの分析、更に毒親育ちの人の自分の子の子育ての分析など
そういったしんどいことを吐き出して気持ちを軽くするために、ブログを書いていこうと思っています。